【子供達に到達してもらいたい境地】

各世代のバスケで、最終学年最後の大会に臨む時期…

ミニ、中学、高校、大学…場合によってはそれ以上の舞台…その各世代での引退を賭けた試合を終えた時点で、全ての子供に再認識してもらいたい言葉があります。

 

それは「つながり」です。
 
「つながり」の大切さ、ありがたさを、身に染みて感じられた時点、その重要さを実感した時点で、あなた達のバスケは「勝ち」なんです。
勝利至上主義か、育成主義か…いろいろ世の中では議論もあるかと思います。
 
でも、バスケを頑張る一人の親として、「つながりを大事に生き続ける」ことを誰にも言われずに、バスケを通じて自らその信念を築いてくれた時点で、「勝ち」だと思っています。
「つながりを大事にする」…その信念を「築く」ためには、「気づき」も必要です。
 
各自そのレベルは違えど、どうしても勝ちたい試合…そのコートの上では、「つながり」の集大成です。
 
日々の努力・鍛錬・忍耐の全てが、コート上で出る。
日々の自立と自律を重んじた生活態度の全てが、コート上で出る。
そう…自分が過ごした時間の全てが、この試合につながっている。
 
技術・考え方・戦術など、熱心に教えて頂く方の想いが、今のプレーにつながっている。
頑張り続けようとする我が子の成長を支える親の想いが、今のプレーにつながっている。
 
良い大会にしようとする関係者や審判の方々のボランティア精神が、試合実現につながっている。
立派なコートや観客席など施設キーパーの仕事精神が、試合実現につながっている。
 
時に高いレベルとなると新聞雑誌取材やテレビ中継などで、世間とつながっている。
いつか僕も(私も)人を感動させられるプレイヤーになりたいと、次世代の憧れへとつながっている。

つながりの大切さはオトナになっても続くこと

すこし難しい話でしょうか…。
小学生でもわかる「つながり」の話をしますと…
   
一つのシュートは、一人のリバウンドの頑張り、一人のルーズボールへの飛び込み、一人の懸命に走るリバウンドフォロー、一人の正確なパス。
この「つながり」を大事にしているチームはとても強いです。


日々走り続ける厳しい練習であっても、チームメイトと励まし合い、高め合う「心」をつなげる。
難しいことでも、できるまでやるあきらめない気持ちで、「技」をつなげる。
しっかり食べてしっかり寝てしっかり鍛えることで、良い「体」へつなげる。
 
積極性・協調性・忍耐力・指導者が求めるものへの理解力・仲間との高め合いから生まれる人への気配り…つまり、バスケットボールは「つながり」を鍛え、「つながり」を育み、「つながりの大切さ」に気づく最高のスポーツなんです。
 
 
 
では…なぜ「つながり」にこだわるのでしょうか?
 
バスケットボールは素晴らしいものですが、これを職業にしていく人はほんの一握り。
そして、仮にその夢が叶っても、体を酷使する競技であるため、プロ選手生命も短く、違う形で社会に出ることになります。
 
大人になって社会に出て働く…
大人になって家庭を築き家族を守る…
その全ての行いにおいて「つながり」が不可欠になるからです。
 
どんな仕事でも、「つながり」という価値を産み出しています。
 
・お店屋さんなら、お客さんが望むモノをお客さんの代わりに探してきて、満足するモノを「つなげる」
・運送会社さんなら、遠くのお客さんのもとへ大切に届けるという、モノを「つなげる」
・雑誌や新聞屋さんなら、多くのお客さんのもとへ正確な情報を「つなげる」
・保育士や学校の先生なら、正しく、強く、美しく子供達を育んで、次のステージへ「つなげる」
・銀行さんなら、正しいお仕事で事業を大きくしようとする会社へ少しの間お金を「つなげる」
・飲食店なら、美味しくて幸せになるような食事をお客さんに出して、明日への笑顔に「つなげる」
・デザイナーさんなら、洋服や家具などで機能性やデザインで、お客さんの生活を豊かにすることへ「つなげる」
・家庭の主婦なら、家族が暮らしやすくするために掃除・洗濯・食事などで、今日の笑顔に「つなげる」
…などなど
 
そして、どんなお仕事でも、次のような人は絶対にいません。
「何の努力もせずに、ある日突然、素晴らしいことができるようになりました」
「日々の生活はサボっていますが、ずっとお客さん(家族)に高い評価を得ています」
つながりを大事にしないで、「天才」なんて…絶対に生まれません。
そもそも「つながり」を大事にしていないと、自分が一番楽しくないはずなんです。
 
 
さらに言うと…
誰一人「この世に生まれてきてはいけなかった人」なんていません。
生を授かったということには、大きな意味があるのです。
そう…過去の時代を築いてこられた多くの人の「つながり」があるからこそ、生まれた命なんです。
だから、次の世代に、良い形で「つなげる」という責任があるのです。
あなた一人の命ではないのです。
どんなに辛いことがあっても、挫けそうなことが出てきても、つながりを断ってはいけません。

笑顔は天下のまわりもの

すこし話が大きくなってしまいましたね。
 
話を元に戻しましょう。
 
どんなレベルであっても、各世代で自分が引退を迎える最後の試合となった時。
満足できる結果が得られなくても、歓喜の輪で終わったとしても…今まで色んな「つながり」を大事にしてきてよかった、これからもこの「つながり」を大事にしよう…そこに気づく「境地」に至って欲しいと思います。
 
そして周りの大人もそうした主旨のことを諭して、子供たちを次への「つながり」に導きたいですよね。
 
先日、スポーツニュースを観ていて、素晴らしい「つながり」の言葉をされているシーンを拝見しました。
 
全国高校ラグビー決勝で、試合終了間際に常翔学園(大阪府)に再逆転されて惜敗となり、準優勝チームの御所実業(奈良県)のベンチ撮影。
御所実業の監督さんが試合後に泣きじゃくる選手達にかけた言葉には感銘を受けました。
「なんで泣くんや?お前ら、やりきってないんか?(いいえ!)そう!やりきったんやろ?…そんなおまえらは、カッコええんや!…笑え!」
 
愛情に満ちた素晴らしい次への「つながり」を産み出すお言葉だと思います。
 
 
僕自身、バスケットボールは素人ですし、教育者でも思想家でもありません。

「バスケによって育まれる子供」の単なる一人のオヤジです。

そんなオヤジの個人的想いとして、我が子、我が町の子供達が「心豊かな人」に成ってもらうための、一つの(最高の)手段がバスケットボールだったということです。
 
「カネは天下のまわりもの」
 
お金は一箇所にとどまるものではなく、常に人から人へ回っているものだから、今はお金が無い人の所にもいつかは回ってくるという励ましの意味です。
 
しかし、この国の経済風潮は、いつの間にか「お金⇒豊かさの象徴⇒カネさえ払えば受け取った相手はこちらにメリットを与えて当たり前」のような雰囲気になってしまいました。
確かに、モノが溢れ、利便性が整う社会で、豊かにはなりました。
一方で、ステイタスや地位が豊かさの象徴となりがちで、確実に「心豊かさ」は失われつつあります。
 
以前、不祥事があった学校保護者会の様子を報道していた中で、こんな保護者の声がありました。


「こっちは高い学費払って子供を預けてるんだ!もっとしっかりしろ!」


不祥事の内容から仕方ない発言ですが…本質的にはその表現感覚が…僕には解りません。
「貨幣価値」というものに、教育放棄しただけの親の発言にしか聞こえないは僕だけでしょうか?
 
日々これらのことに違和感がある僕は、「心豊かなつながり」がスタンダードな社会に戻ることを願って止みません。そうするための「礎」となるのは、間違いなく我が子世代の「つながりを大事にする」感性だと思っています。
 
それを実現するためには、草の根レベルであっても、我々大人から姿勢を正し、仕事に対する姿勢や日常生活での振る舞いを変えていってもイイのでは?と思っています。


子供たちに「つながりを大事にしなさい!」といくら言葉で言っても、すぐには伝わりません。
また、我々大人が変わっていないと、その説得力もないでしょう。
「つながり」を大事にするというのは、ある日突然出来上がる「教え」ではなく、時間をかけて気づき、築かれる「文化」であることが大切だと思うのです。
 
「躍心JAPAN」の団員さんは…笑顔で「文化づくり」をしている草の根の人たちです。
その躍心JAPANの団長としては、いつか「笑顔は天下のまわりもの」という心豊かさを伴う経済復興につなげたいと、本気で思っていたりします。

 

 

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