【子供の感性・大人の未完成】

子供の感性って、大人が忘れかけていた鋭い切り口が結構あったりします。

でも、それを磨いてあげるのも、潰してしまうのも…これまた周りにいる大人の影響だったりもします。この子供の感性と、その感性を奪いがちな今の日本の経済風潮を関連付けて綴ります。
 
まずは、僕自身が子供の感性について気付かされた実体験をいくつか挙げますね。

 
事例1)
娘が保育園時代の話。
娘を迎えに行ったある日のこと…、

身長188cm・足30.5cmのおれをみた男の子が、真顔で聞いてきた事がある。
「おっちゃん、前から聞いてみたかってんけど…、そんなに高い所に顔が付いていて、いつも歩く時…怖くないん? そのデカイ靴の 中って…いつも何が入ってるん??」
ずっ~っと疑問に思っていたらしい。
  
事例2)
娘がまだ3歳…保育園での話。
手渡された一枚の画用紙を真っ赤に塗りつぶし、それを床においた所を中心に、フローリングに直接大きな円を描き始めた。真っ赤になった紙はアンパンマンの鼻だった。
ちなみにその頃家でのお絵かきには、いつも大きな模造紙を与えていた。当時、叱らずに最後まで描かせてくれた保育園の先生に感謝。
 
事例3)
娘が4歳となった頃、画用紙の枠内にアンパンマンの顔を収めて描いているのを見て「つまらんなぁ」と言ったら…

「赤いクレヨンばかりがなくなるのが勿体無くなってん…。それに、私が床に絵を描いたところをお友達が通ると、足裏がクレヨンで汚してまうし…」

最初に床に絵を描いていた娘の感性を先生が尊重して下さらなければ、こういう価値観の変化も生まれていなかった。結局どちらの感性も…マルなのだ。
「床に描いてはダメです!」と頭ごなしに叱らない先生にあらためて感謝した。
 
事例4)
娘がまだ小1年の時、僕が人材育成コンサルで入るインテリアショップへ遊びに来たことがある。その時、店内で遊ぶ娘に、「ココの販売員5人の中で、誰が一番売上が多いと思う?」と何気なく聞いてみた。
娘はしばらく観察を続けた後、ピタリと当てた。その理由を聞いてみると…「レジ打ち終わった後、商品を包む笑顔が一番きれいな人やってん!」
日頃、管理会計を用いてスタッフ指導していた父よりも…人を見抜いてた。
娘が特段すごいわけではなく、子供が持つ感性って、大人より本質を見抜くことがある。
 
 
これらの話…まあ、僕にとっては単なる思い出話ですが…
 
要は…、子供達の着眼点や、大人が忘れてかけていたピュアな感性に、ハッと気付かされる時があるという話なんですね。
 
そして、これらのことは皆さんの身の回りでも日常的にあるはず…。ぜひこうしたことは、笑い話などで流さず、その感性を大切に育んで欲しいと願うわけです。
子供と向き合う時間を大事にして、元々子供が持っている感性は是非磨いてあげたいですよね。むしろ、大人が気かされる都度、子供達には感謝したいくらいのはず…。

 

ところが、子供達の感覚では、こうした着眼点が日常茶飯事なのに、大人がスルーするだけでなく、否定する場合すら散見されます。結局のところ…案外、大人の常識が、社会の非常識を作っていることもあるのかもしれません。
 
今の日本社会の現状に警鐘を鳴らした平川克美著『小商いのすすめ?「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』という本にはこんな問題提起が…。
「人間の身の丈を超えた技術革新や経済発展によって社会は「発展」はしたが、社会は「成長」したのか?」という投げかけです。
これには共感…。

 

そして、いろんな事を考えるようになりました。
 
高度成長期以降の日本は、自由経済の名のもと、常に豊かさを追求してきました。しかし、自由競争の中から「勝ち組」だけにスポットが当たるような社会になってきた気がします。

 

自由には責任が伴います。
ところが、ブレーキが利かなくなった自由経済が産み出してしまった残念なもの…それは、経済効果という「自分勝手な理由の正当化」ですね。でもさすがに…そろそろ日本は、過剰な大規模開発が、大きな無責任につながっていることに気付いてもいい。
マンション建設の過剰供給、ショッピングセンターなどの大型施設ができては数年後に陳腐化を続けるスクラップ&ビルド…。今、心豊かさと取り戻さないと、自然の摂理から本当の自由が奪われる日が来ると思えてならないわけです。
自分さえ満足できれば良いという発想は…そろそろ限界でしょう。
自然の摂理に歪も見え隠れしているのかもしれません。そうした混沌とした社会・暗雲立ちこめる世の中で、「子供の感性」というのは、大きな光・救いの手のような気がしてなりません。

 

子供達は、勉強であろうと、スポーツや文化であろうと、規律だけでなく、自由と自主性で潜在能力が伸びます。自分の感性を磨く瞬間です。
そして、その自由さには、必ず責任が伴うからこそ、多くの失敗と小さな感動を自ら繰り返す環境を与えたいのです。特にチーム競技ではその成果が全てチームに跳ね返るため「責任」を実感できる最高の環境。

 

そうしたこともあり、世の中の大人たちのモラル低下や、心豊かさを失った今の経済時流の話と、ミニバスケでの人間形成や子供の感性を尊重して磨くという話を結びつけることは、強引すぎるとは思っていません。刹那的な今の日本と、心豊かな子供の育みの相関性は、決して遠くないと考えています。
 
笑顔を産み出し、笑顔を流通させ、笑顔で応える…それが「責任ある自由経済」だと、最近つくづく思います。貨幣がない物々交換の時代は、自分の生産物の質が上がらないと、質が高い交換物が手に入らないという原則で物事が動いていたはず。お互い仕事への意識が高いと、交換した時に相互の笑顔も大きい。
 
ミニバスケでも、チーム内でお互いの意識の高めあいと、自分から仕事を探す姿勢がすごく大事。
人に喜んで頂くための「自己研鑽・工夫・仲間づくり・共感・笑顔」…その大切なものは子供の感性には不可欠なもので、これが磨かれると、自主的に「気づき」「築ける」人になれると信じています。
 
お金払うから満足のいくサービスをしろよ!…この概念だけでは世の中ギクシャクする。こういう考えの人は、「私は債権者なので、ひれ伏して債務を履行しなさい」と言うようなものですよね。「日頃自分も、本来は人様に喜んで頂いた成果でお金を得ている」ということを忘れた瞬間ですね。
「カネは天下の周りもの」…?…そのカネの本質は、「権力」ではなく「人の喜びと感謝」のはず。
 
だから、どんなに力がある者でも、天下を取っても長続きしない。
これはミニバスケも一緒!
おれがシュートを決めてやるから、へたくそなお前がボールを取ったら、とにかくおれに渡せ!…この概念ではチームがギクシャクする。場合によっては、上手い子を褒め、下手な子を叱るミニバス指導者を試合会場で目に付くことが後を絶ちません。。。
結局…それは間違った勝ち組の作り方であり、バスケ技術が未熟な子でも、頑張ろうとする感性・共に悦びを分かち合おうとする感性を削いでしまうことになるのです。


バスケなどスポーツで育む強い体力と精神力、その強さから生まれる周りの気配りと感謝、高め合う仲間意識…。小中学生のうちに、戦績以上にその大切な感受性と自主性が育まれると、大人に成っても絶対ブレないと信じています。
では何故それがなかなか実現しないか?…今、ブレている大人が多いからです。

 

勝ち組経済により失いつつある心豊かさ。刹那的な人との関わり。自分だけが良ければ満足とする気持ち悪い笑顔の蔓延。大人のエゴにより将来の可能性と閉じる子供達…。

大人が主役のミニバス事情をソーシャルメディアを通じて多く寄せられる都度、いつも心が締め付けられます。
未完成な大人はエゴのかたまりは、子供と関わってはいけないとすら思います。

 
大人が忘れかけている心の成長は、ミニバス子達のボールを必死に追いかける純粋な眼差しの中から気付かされることもあるはずなんですよね。
上手いか下手かじゃない…めちゃくちゃ頑張ろうとしているか、やろうとしているか…ソコが大事…本気でそう思います。
でも残念ながら、未完成な大人は、感性が鈍っているから、いつまでもそこには気づかない…。
『今、上手いか下手かを気にする』…もう…それは残念ながら社会の罪悪と言っても過言ではありません。
 
それでね…

結局のところ、「子供の感性の磨き方」は、正直僕もよく解りません(^^;)。

でも、子供達は、よく身近な大人たちを観察していることだけは事実。
感謝の気持ちを育みたいなら、日頃、大人のほうから子供を尊重し、感謝もする。
それは団長語録第2弾でも綴りましたね。
要は、真っ直ぐ育てたいなら、大人も真っ直ぐ生きてみる。
それがすごく大事だと思いますよ…(^^;)
 
今日からでもそれはできます。
身近なお子さんが、独特の発想や気づきを示した瞬間、大人では想像も付かない発想だったり感性だったり…
それを見逃さず、しっかり受け止めてあげて欲しいんです。
少なくとも、関心を示してあげるだけでも充分です。
  

この語録の最後の締めくくりに…

子供は「憧れ」の人が現れると、その憧れに近づこうとし、追い抜こうとする。
それについては、第5弾でも綴りましたね。
それには、「感性」がとても大切です。
でも子供の感性を奪ってしまうと、憧れは憧れで終わってしまうか…いつまでも憧れの存在すら現れません。
 
そもそも「憧れ」という感じは、「心の童」と書きます…つまり「童心」
童心…そのものズバリ…子供の感性ですよ!(^^)
童心忘るべからず…つまりは、大人も初心忘るべからず…
 
とにかく「子供の感性」を磨こうと思ったら、まずは大人も初心に戻る…童心に戻るところから始めてみませんか?
もちろん、僕達も一緒にね♪
語録とは言いながら、いつも僕自信が自戒の念で語っています(^^;)

初心に帰る…童心に帰ると…案外カッコいい大人ができあがったりすることもあるようなんですよね~。
今、本当の意味で、子供から見て憧れられるカッコいい大人って…随分少ないでしょ?


先日の第1回躍心JAPANフェスティバスに参加した中学生が、団員と接していて「本気で子供達と接してくれる大人っているんですね」と、将来バスケ指導者の道に憧れる子が出てきたと聞きます。

躍心JAPANの団員は、そうした心の部分で子供達と接しているので、自ずと解り合える部分もあるんでしょうね。
これは、団長としては、大変嬉しい出来事でした。

 

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